真夏のコンクールが終わると、子どもたちはようやく一息つける――そう思われるかもしれません。
けれども当時の吹奏楽部にとって、夏の終わりは「もうひとつの大舞台」への入口でした。
秋の体育祭。高らかなファンファーレ、入場行進のパレード、そして校庭いっぱいに音と隊形を描く「マーチング・ドリル」。
楽器を吹きながら歩き、美しい幾何学模様をつくり、全員の呼吸をそろえる。この演技は、子どもたちにとって最高の見せ場でした。
今回の連載第12回は、1983年9月20日の掲載記事をもとに、体育祭へ挑む子どもたちの姿をたどります。
暑さと疲れ、手作りの工夫、そして雨の本番。ひたむきに心をひとつにした、あの日々の記録です。
「エーッ!」と言いながらもやり遂げる、子どもたちの驚異的な暗譜力

基本動作から始まった体育祭練習
体育祭の練習は、コンクール後の短い休みを挟んで、夏休みの後半から始まりました。
まず取り組むのは、徹底的な基本動作です。
右向け右、左向け左、回れ右。
ドラム・メジャーの指揮杖や笛に合わせ、四十名余りのメンバーが同じ方向を向きます。
全員が同じ歩幅で進めるようになるまで、何度も何度も練習を繰り返しました。
音と動きを同時にそろえる難しさ
見ている側には軽やかに見えるマーチング・ドリルも、実際にはとてつもなく大変です。
重い楽器を支え、正確な音を出し、周りと足をそろえながら、次のフォーメーションを思い出す。
ひとつでも気を取られると、音か動きのどちらかがたちまち乱れてしまいます。
特に一年生にとっては、先輩たちの背中がまぶしくもあり、同時に果てしなく遠くに見えたことでしょう。
ミキさん(当時の教え子)「エーッ!」から始まる暗譜への挑戦
演奏曲が決まると、今度は二、三曲を丸ごと完全に暗譜しなければなりません。
「さあ、今日はこの曲を全部覚えるんだよ」
私が音楽室でそう言うと、子どもたちからは決まって「エーッ!」という大きな大ブーイングが返ってきました。
「とても無理だ!」と、全身で訴えるような愛おしい拒絶の声です。
音符が「自分たちの動き」になっていく
ところが、そこからが中学生の素晴らしい生命力でした。
「無理だ」と言いながらも、実際に吹けるようになった頃には、不思議ともうほとんど曲を覚えているのです。
中には、一度合わせただけで、次には楽譜なしでペラペラと吹いてしまう驚くべき生徒もいました。
大人がどれほど努力しても追いつけないような早さで、子どもたちは音を身体に染み込ませていきます。
その驚異的な吸収力は、単なる脳の記憶力ではありません。
隣の仲間と並び、音を聴き合い、泥まみれで足を動かし、一緒に汗をかきながら覚えていく。
だからこそ、ただの楽譜の音符が、自分たちの血の通った「動き」として刻まれていくのです。
アイデアと汗で乗り切る、「写真フィルム缶」が教える手作りの知恵

フォーメーションが求めた集中力
ドリルには、曲のどのタイミングで、誰が、どの位置へ移動するのかを示す緻密な設計図があります。
これを「フォーメーション」と言います。
美しい曲線や、寸分狂わぬ左右対称の形をつくるには、この設計図に沿って全員が正確に動き回らなければなりません。
けれども、子どもたちがそこに到達するまでの苦労は並大抵ではありませんでした。
「フォーメーションに一生懸命になると指がわからなくなり、曲に集中するとドリルができなくなる」。
原稿にある彩子さんの言葉には、マーチングに挑んだ者なら誰もが深くうなずく、リアルな葛藤がそのまま映し出されています。
サトルくん(当時の教え子)芝生に差し込んだ小さな目印
本番の前日には現地へ赴き、グラウンドでの位置確認を行いました。
広い芝生の上には、センターラインを石灰で引きます。
しかし、四歩間や八歩間の細かな目印まで全て石灰で引いてしまうと、白線だらけになって見た目があまりにも目立ちすぎてしまいます。
そこで私たちが知恵を絞って考え出したのが、写真フィルムの空き缶を使った手作りの目印でした。
フィルムケースにクギを打ちつけ、あらかじめ測って印をつけておいたナイロンロープを二人でピンと引っ張ります。
環境に合わせて、そのロープの印に沿って、何人かでフィルムの筒を芝生にトントンと差し込んでいくのです。
今振り返ればなんとも泥臭く、しかし実にあたたかく愛おしい、手作りの工夫でした。
手作りの準備が支えた華やかな演技
予算も時間も、決して潤沢とは言えない時代でした。
だからこそ、顧問も子どもたちも一緒になって知恵を出し合い、手を動かし、汗をかいて自分たちの舞台を整えていきました。
あの華やかなパレードの背後には、こうした地道で静かな裏方作業があったのです。
私は今でも、こうした創意工夫のプロセスにこそ、教育の現場らしい本当の温かさがあると感じています。
雨ニモマケズ――心をひとつに響かせた、あの日最高のファンファーレ

雨模様の本番へ向かう子どもたち
いよいよ迎えた本番当日。
曲も完璧に覚えた。歩く順序も頭に叩き込んだ。
あとは本番の緊張に負けず、全員でこれまでの練習の成果を出し切るだけです。
けれども、その日の空は、子どもたちのそれまでの努力を試すかのようなあいにくの雨模様でした。
原稿の中で涼子さんは、「本番は雨の中。それでも私たちは、雨にもまけず演奏しました」と力強く振り返ってくれています。
芝生の足元は、決して良い状態ではなかったはずです。
大切な楽器は濡れ、制服は雨を吸って重くなり、一歩踏み出すたびに泥水がはねたことでしょう。
それでも子どもたちは、自分たちが必死に覚えた音楽とフォーメーションを信じ、前を見据えて最後まで堂々と歩き切りました。
拍手が教えてくれた達成感
先頭で「八歩進む(8先)」という重要な役割を見事にやり遂げた祥子さん。
彼女は、演奏を終えて退場するときに観客席から温かい拍手をもらった瞬間を、こう記しています。
「とってもとっても、うれしかった。やってよかったと、つくづく思った」
この素直な一文には、何週間にもおよぶ練習の厳しさを乗り越えた者にしか掴めない、本物の誇りが満ち溢れています。
体育祭の華とは、単に寸分の狂いもなく美しく整えられた、機械のような演技のことではありません。
冷たい雨が降る中でも、失敗への不安を抱えながらも、隣の仲間と呼吸をぴったり合わせてひたむきに前へ進む。
そのひたむきな姿そのものが、グラウンドで見守る人々の心を大きく揺さぶるのです。
【教育者・加藤 涼の視点:マーチング・ドリルは「心をひとつにする学び」】
三年生が引退し、一、二年生だけで新チームの基礎を固めたいこの大事な秋の時期。
マーチング・ドリルに多くの時間を割くことは、部にとって決して軽い負担ではありませんでした。
当時の指導者としての本音を言えば、グラウンドに出るよりも、音楽室にこもってじっくり楽器の音づくりや基礎合奏に専念したいという思いもありました。
それでも私がこの活動を毎年続けてきたのは、この過酷な取り組みの中でしか得られない、大きな成長があると信じていたからです。
- 集団の一員としての規律
- お互いの約束を守る力
- 視線を交わさずとも仲間の呼吸を感じ取る力
- 音楽を通して全員でひとつの美しい空間を創造する喜び
これらは、快適な音楽室の椅子に座っているだけでは決して身につかない、身体を張った「生きた学び」そのものです。
子どもたちが冷たい雨の中で浴びたあの温かい拍手は、単なる演奏への評価ではありません。
全員で心をひとつに合わせようと、泥だらけになりながら踏ん張った、「そのひたむきな姿への拍手」だったのです。
その時に得た震えるような感動は、きっと一人ひとりの胸の奥深くに、一生消えない灯火として残り続けたのではないでしょうか。
大変さの中で伸びていく力
マーチング・ドリルは、音楽と運動、精度が問われる集団行動が重なり合う、本当にハードな活動です。
けれども、その「大変さ」の真っ只中にこそ、子どもたちの心が殻を破って大きく伸びる瞬間が隠されていました。
「エーッ!」と叫びながら必死に暗譜し、足のだるさに耐え、フィルムケースの目印をみんなで芝生に差し込み、雨の中で泥を跳ね上げながら最後まで演奏しきる。
ひとつひとつは部活動における日常の小さな出来事かもしれません。しかし、振り返ればそれこそが、二度と戻らない青春そのものの輝かしい記録です。
次の舞台へつながる結束
効率や合理性ばかりが求められがちな学校教育の現場においても、こうした泥臭い活動の中にこそ、数値では測れない大切な学びがあります。
仲間と同じ方向を向き、歩幅を合わせ、心をひとつにしてひとつの美しい形をつくり上げる。
その極上の楽しさと誇りを、子どもたちはあの雨の体育祭を通じて、確かにその手につかみ取りました。
次回は、この体育祭の挑戦で培われた固い結束が、秋から冬にかけての日々の練習、そして次の大きな舞台へどのように繋がっていくのかを見つめます。

連載「吹奏楽にかける日々」は、子どもたちの瑞々しい成長と音楽教育の現場のリアルを、これからもあたたかく丁寧にたどっていきます。
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