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吹奏楽コンクールの夏…50人のカベと全員練習【吹奏楽にかける日々・第1部⑨】

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吹奏楽コンクールの夏、50人のカベと全員練習に向き合う中学校吹奏楽部の練習風景
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夏休みの学校に、朝から楽器の音が響く。家族旅行や帰省の予定が並ぶ季節であっても、吹奏楽部の生徒たちにとって夏は、コンクールへ向けて心と音を磨き続ける時間でした。

連載「吹奏楽にかける日々」第9回では、1983年8月30日付『サンケイ 奈良 朝刊』に掲載された「吹奏楽コンクール(上)」をもとに、夏休みの練習、家庭の支え、そして出場人数に限りがあるコンクールへ向かう部員たちの姿をたどります。

舞台に立つ生徒も、客席から仲間を見守る生徒も、同じ部の一員であることに変わりはありません。そこには、音楽教育を超えて、人を育てる部活動の本質が静かに息づいています。

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目次

夏休みを支えた家庭と、毎日の練習

夏休みの吹奏楽部練習と家庭の弁当づくりを表す温かなインフォグラフィック
夏休みの練習は、部員の努力だけでなく、毎日の弁当づくりや生活を支える家庭の協力によって成り立っていました。

夏といえば、甲子園の高校野球を思い浮かべる人も多いでしょう。しかし、吹奏楽部にとっての夏は、何よりも吹奏楽コンクールの季節です。

原稿には、県吹奏楽連盟主催の県吹奏楽コンクールが年々盛大になり、中学校だけでも五十二団体が出場する大会へ発展していたことが記されています。生徒たちはその大きな舞台へ向け、夏休みの多くを学校で過ごしました。

ミキさん(当時の教え子)
夏休みなのに、毎日学校へ行くのは大変そうです。家族の予定もありますよね。

まさにその通りです。夏休みは、家族旅行、墓参り、帰省など、家庭にとっても大切な予定が重なる時期でした。活動報告会では、保護者から「夏休みはいつごろ練習を休ませたらよいのか」という質問が毎年のように出ていたといいます。

さらに、普段なら学校給食がある生徒たちも、夏休みの練習期間中は弁当が必要になります。加藤先生は、部員たちに「自分たちだけで練習ができているのではないのだ」と伝えていました。

この言葉は、練習の厳しさだけでなく、目に見えにくい支えへの感謝を教えるものです。音を合わせる前に、人の支えに気づくこと。それもまた、吹奏楽部で学ぶ大切な基礎だったのではないでしょうか。

音を磨くパート練習と、成長を支えるリーダーたち

輪になって基礎練習に取り組む中学校吹奏楽部のパート練習を表すインフォグラフィック
練習は小人数のパート練習から。パートごとの息が合わなければ、全員の合奏も成り立ちません。

練習は、日曜日を除いて朝九時から夕方五時まで行われました。午前中はパートリーダーを中心にしたパート別練習、午後は全員での合奏練習という流れが多かったと記されています。

パート練習では、ひとつひとつの音をきれいに、しっかり出せるように、基本練習から曲の練習まで徹底して取り組みました。やってもやっても課題は尽きず、練習すればするほど、次に直すべき点が見えてきます。

サトルくん(当時の教え子)
上達するほど課題が増えるというのは、学びの現場そのものですね。できないことに気づける力も、成長の一部なのだと思います。

パートリーダーの責任も大きなものでした。全体練習で他のパートより遅れていると指摘されれば、もう一度パート練習に戻らなければなりません。だからこそ、リーダーたちは必死でした。

伝統のある学校であれば、複数の指導者に恵まれることもあります。しかし、多くの学校では、練習指導だけでなく、部の運営、予算、部員の生活指導まで、教師一人が背負う現実がありました。

それでも中学生の上達は早く、日に日に音が変わっていきます。厳しい練習の中で、生徒たちは音楽の技術だけではなく、責任を持つこと、仲間を支えること、そして自分の役割を果たすことを学んでいきました。

50人のカベと、舞台に立てない部員の思い

吹奏楽コンクールの舞台袖と客席で仲間を見守る部員たちを表すインフォグラフィック
一校五十人という出場制限は、努力してきた部員全員を舞台に立たせたいという願いの前に大きく立ちはだかりました。

コンクールを前にしたとき、避けて通れない問題がありました。それが「五十人のカベ」です。

出場できる人数は一校につき五十人まで。部員数の多い学校では、二年生と三年生を合わせただけで五十人を大きく超えてしまいます。歴史の浅い加藤先生の学校でも、二、三年生に一年生を加える必要がありながら、全員を出場させることはできませんでした。

ミキさん(当時の教え子)
毎日まっ先に来て練習していた一年生が出られないこともあったんですね。努力しているのに選ばれないのは、つらいです。

原稿には、一年生ほど欠席が少なく、毎日まっ先に来て練習していたことが記されています。それでも、その中から出場できない部員が出る。指導者にとっても、苦しい判断だったはずです。

加藤先生は、舞台に出るか出ないかで部員を区別しませんでした。出場メンバーの発表を直前まで遅らせ、最後の最後まで全員で練習に参加させました。ステージの準備も全員で行い、役割の重要さは変わらないと伝え続けたのです。

客席で「次は生駒北中学校」と放送される瞬間を、胸をドキドキさせながら見つめていた生徒の姿も紹介されています。舞台に立てなくても、仲間の演奏を自分のことのように受け止めていたのです。

全員で向かうコンクールが教えてくれたこと

舞台に立つ部員と客席で見守る部員が同じハーモニーを共有する様子のインフォグラフィック
コンクールは、選ばれたメンバーだけの舞台ではなく、全員が同じ目標へ向かう時間の集大成でした。

部員たちは、誰が舞台に立っても「私たちの部の演奏」であると受け止めるようになっていきました。選ばれたメンバーをねたむのではなく、今の段階でのベストメンバーが選ばれたのだと考え、自分が出ている以上の真剣さでコンクールに向き合ったと記されています。

舞台に立った生徒の感想には、初めての大行事に胸が高鳴る様子や、幕が上がった瞬間のライトのまぶしさが残されています。客席の方など一目も見えないほどの緊張は、晴れの舞台に立った者だけが味わえる経験だったのでしょう。

サトルくん(当時の教え子)
舞台に立つ経験も、客席から仲間を見守る経験も、どちらも生徒の心に残る学びだったのですね。

一方で、加藤先生は、出場した生徒たちの生き生きとした感想を聞くたびに、舞台に立てなかった生徒へ「君は出なくていいよ」と言っているような気持ちになったとも述べています。全員を出場させたいという願いは、指導者として消えることがありませんでした。

だからこそ、この回に描かれているのは、単なるコンクールの記録ではありません。限られた人数の中で、全員の努力をどう尊重するか。結果だけでなく、そこに至る過程をどう教育として意味づけるか。その問いが、現在の部活動にも通じる重みを持っています。

【教育者・加藤の視点:舞台に立つことだけが参加ではない】

コンクールには、順位や評価がつきます。出場メンバーも選ばれます。しかし、教育の場として見たときに大切なのは、選ばれた生徒だけを主役にしないことです。

練習を支えた者、準備をした者、客席で仲間を見守った者。その全員が同じ目標に向かって時間を重ねたからこそ、舞台上の音は生まれます。加藤先生が最後まで全員を練習に参加させたのは、音楽以前に「自分もこの集団の一員だ」と感じられる場を守るためだったのでしょう。

参考文献

  • 『サンケイ 奈良 朝刊』1983年8月30日掲載「特別記録簿」第9回「吹奏楽コンクール(上)」
  • 加藤浩之氏提供資料「Taro-第9回『コンクール上』」

次回予告

次回は、吹奏楽コンクールに向き合う生徒たちの思いをさらに深くたどります。舞台の結果だけでは見えない、部活動の成長の記録をお届けします。

連載「吹奏楽にかける日々」目次ページはこちら

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加藤 凌

この記事を書いたのは…教職歴36年・82歳の元校長です

日々の最新トレンドから、82年の人生経験と知見を詰め込んだ「人生航海のログブック」まで、独自の視点で毎日発信しています。かつての教え子の皆様や、同世代の方々とここで再び繋がれることを楽しみにしています。

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82歳、現役。目に見えない電波で世界と繋がっています

流行の話題を追う傍ら、私の本当の情熱は「アマチュア無線」にあります。昭和から令和まで、世界中の仲間と語り合ってきた軌跡と、男のロマンが詰まった無線室(シャック)へぜひ遊びに来てください。

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