「吹奏楽部に入ってよかった」。そう語る子供たちの前に立ちはだかるのは、残酷な現実である「進学問題」でした。
1970年代後半、少しずつ激化し始めた学歴社会の中で、揺れ動く生徒の心と、苦渋の決断を下した一人の少女の物語です。
部活動と学業の板挟みに悩み、涙ながらに退部を選んだ生徒の姿を通じて、当時の教育現場が抱えていた深刻な課題と、そこに通い合う師弟の絆を振り返ります。
「ラッパが吹けても、高校へは入れない」

奈良県特有の内申点制度(中一からの成績評価)や塾通いの増加により、親の立場からすれば「勉強第一」と言わざるを得ない時代背景がありました。
中間テストの成績不良を理由に、大好きな部活動を奪われそうになった部員の必死の抵抗は、当時の多くの家庭で見られた光景です。
「高校進学九十〇%」という状況の中で、いくらラッパがじょうずに吹けても良い高校に入れるわけではないという親の切実な思いも理解できます。
ミキさん(当時の教え子)M子からの手紙「先生、お許しください」

部活動と学業の板挟みに悩み抜き、三年生になるときについに退部を選んだM子のエピソードがあります。
彼女が綴った手紙には、「音楽も仲間も大好きだけれど、今の成績ではどこにも行けない。塾を捨てるわけにはいかない」という震えるような本音が書かれていました。
「私の気持ちをどうかご理解して下さい。吹奏楽部の好きな私をこれからも見守っていて下さい。」という言葉に、私は胸が締め付けられる思いでした。
13年間の封印を解いた、涙の合格報告

退部後、猛勉強の末に志望校にみごと合格したM子が、発表の日に真っ先に音楽室へ報告に来てくれたシーンは今でも鮮明に覚えています。
「先生、ありがとう」と涙でそれ以上何も言えない彼女を見て、私も思わず目がしらが熱くなりました。
そして、彼女が高校で再び吹奏楽の世界へ戻っていったという奇跡は、私にとって何よりの救いでした。
サトルくん(当時の教え子)豊かな「精神の陶冶」を奪うものは何か

私は、勉強するなとか、塾が悪いと言っているわけではありません。
豊かな精神の発達の時期にこそ、入試対策の詰め込みではない「本物の学問」や「文化」に触れてほしいと願う教育者としての苦悩がありました。
部活動が、子供たちにとって単なる「遊び」ではなく、自分を成長させてくれる「生活の一部」であったことを再確認させられました。
成績のために部活を諦める決断は、今も昔も繰り返されています。
しかし、M子が高校で再入部したように、部活動で得た「心のしなやかさ」は、必ずその後の人生の糧になります。
合格発表の日の彼女の笑顔が、その答えをすべて物語っていました。
参考文献リスト
- 1983年8月16日掲載 サンケイ新聞(奈良版)連載記事「進学を捨てられぬ」
- 全国の教育関係者向け情報誌『切り抜き速報 教育版』(ニホン・ミック社)特別記録簿
▶ 次回は、コンクール前夜。緊張と期待が交差する舞台裏をお届けします。


