結成から一年。練習に明け暮れた日々は、ついに学校の壁を越える日を迎えました。はじめての校外演奏、その舞台は近隣の小学校の体育館。
チューバや大太鼓といった大きな楽器をみんなで協力して運び、小学校へと向かう道のりは、まるで村の小さなパレードのようでした。
期待と緊張を胸に、子どもたちの新たな挑戦が始まります。
学校の垣根を越えた「教育の原点」

「午後の授業は免除するから、頑張ってきなさい」。先生方のその一言は、単なる許可ではありませんでした。当時の教育現場は、まだ学歴や知識偏重の風潮が根強く残っていた時代。そんな中で、先生方が子どもたちの「体験」の価値を信じ、送り出してくれたことの意味は、非常に大きかったのです。
新聞記事にも「昼食を食べると午後の授業は免除してもらって、玄関に集合した」と記録されています。これは、音楽を通して地域と交流すること、人前で表現することの重要性を、学校全体が理解していた証拠です。知識を詰め込むこと以上に大切な「生きる力」を育むという、教育の原点がそこにありました。
サトルくん(当時の教え子)ピカピカの体育館に響く「ヤマト」と「UFO」


新築されたばかりのピカピカの体育館。そこで私たちが披露したのは、当時の子どもたちのヒーローだった『宇宙戦艦ヤマト』のテーマ曲と、国民的アイドルだったピンク・レディーの『UFO』でした。イントロが始まると、客席の小学生たちが「わあっ」と身を乗り出し、ステージに合わせて大きな声で歌い始めたのです。
当時の記事には、部員の一人が「演奏が終わってホッとしたところへ、小学校の先生方が“よかったヨ。いつもよりずっと大きい声で歌ってたヨ”と言いにきてくれて、もう、フィーバーのしっぱなし」と語った感想が残っています。
演奏する側と聴く側が一体となる、一方通行ではない音楽の喜び。それは、私たちにとって初めての感動的な体験でした。



母の涙と「じょうずやったヨ」の一言


その日の演奏会は、小学校の授業参観も兼ねていました。客席には、たくさんの保護者の姿が。その中には、部活への参加を、最後まで反対していた母親の姿もありました。
「勉強がおろそかになる」と、いつも心配していた母。しかし、その日ばかりは違いました。
演奏が終わり、楽器を片付けていると、母がそっと近づいてきて、たった一言、こう言ってくれたのです。「じょうずやったヨ」。当時の部員の感想文にも、こうあります。
「一年間の中で一番うれしかったぁ。それは小学校の演奏の時、お母さんに私たちの演奏をはじめて聴いてもらえたことです。だって、いつも“部をやめな”といっていたお母さんが、あの時ばかりは“じょうずやったヨ”とほめてくれたのです。
本当にうれしかった」。音楽が、家族の心を繋いでくれた、忘れられない瞬間でした。
音楽で一つになった地域


この日の演奏会は、単なる発表の場ではありませんでした。演奏する中学生、聴き入る小学生、そして温かく見守る先生や保護者たち。音楽が、その場にいたすべての人々の心を一つにしたのです。聴いてくれる人がいて初めて音楽は完成するのだという「演奏の社会性」を、私たちは肌で感じました。
この成功体験は、大きな自信となりました。そして、その評判はあっという間に地域に広がり、「うちの子が中学に入ったら、吹奏楽部にはいりたいといっています」と、早くも“入部予約”をしてくださる保護者まで現れたのです。たった一度の校外演奏が、部の未来を大きく変えるきっかけとなりました。
【教育者・加藤の視点:響き合うコミュニティ】
地域の理解と協力があってこそ、学校教育は真に豊かなものになります。この初めての校外演奏が教えてくれたのは、演奏技術の向上以上に、音楽が持つ「人と人を繋ぐ力」の素晴らしさでした。
子どもたちが自分の住む地域に貢献し、そこで認められるという体験は、何物にも代えがたい自己肯定感を育みます。
学校という閉じた世界から一歩踏み出し、社会と繋がったこの一日は、子どもたちにとっても、そして私にとっても、教育の可能性を再確認する貴重な時間となったのです。


本連載の原典について
この連載は、1983〜1984年にサンケイ新聞(奈良版)に掲載された記事を元に、現代の読者へ向けて再構成したものです。
次回予告:第5回「三位一体の演奏を目指して」
(4月7日公開予定)



