「親孝行したい時には親はなし」。若いころは、どこか昔のことわざのように聞いていました。
けれど82歳になった今、この言葉は胸の奥に深く沈んでいます。母を早くに失い、父との別れにも後悔を残した私には、ただの言葉ではありません。
気づいた時には、もういない。言いたかったことも、聞きたかったことも、手の中の砂のようにこぼれていく。
だからこそ私は、いま葬儀のサポートに関わっています。誰かの大切な別れが、少しでも納得のいくものになるように。残された家族が、後悔だけを抱えて歩き出さなくてよいように。
「親孝行したい時には親はなし」という言葉


この言葉を本当に理解するまで、長い時間がかかりました。
親は、いつまでもそこにいるように思ってしまいます。帰れば会える。電話をすれば声が聞ける。少し遅れても、いつか埋め合わせができる。そんなふうに思ってしまうのです。
しかし、別れは人の都合を待ってくれません。
「もう少し話しておけばよかった」。
「あの日、違う判断をしていればよかった」。
そうした言葉は、胸の中で何度も繰り返されます。けれど、時間だけは戻りません。
私が葬儀の場でご家
族と向き合う時、この言葉がいつも静かに心に浮かびます。見送る側の悲しみは、故人への愛情そのものです。その愛情が、少しでも温かな形で届くように支えたいのです。
夕飯を炊いて待った少年時代。母が残してくれたもの


私の母は、保険外交員として働き、家族を支えてくれました。
当時の母の背中を思い出すと、まず浮かぶのは忙しさです。外を歩き、人に会い、家族の暮らしを守るために働く。今のように便利な時代ではありません。女性が外で働き続けることにも、さまざまな重みがあったはずです。
それでも母は、家を守ってくれました。私たちが帰る場所を、懸命に残してくれました。
少年時代の私は、夕飯を炊いて母の帰りを待ったことがあります。米を研ぎ、火加減を見ながら、母が帰ってくる時間を思う。台所の湯気や、夕方の薄暗さまで、今も不思議と覚えています。
母は50代で逝きました。いまの私から見れば、あまりにも早い旅立ちです。
もっと話したかった。もっと感謝を伝えたかった。母がどれほどの苦労を抱えていたのか、当時の私は十分には分かっていませんでした。
けれど母は、言葉以上のものを残してくれました。それは家であり、暮らしであり、家族を守るという姿勢でした。



サトルくん、その通りです。貧しさや忙しさの中にも、家族の時間はありました。大げさな言葉はなくても、台所の湯気や帰りを待つ気持ちの中に、確かに愛情がありました。
父を車で病院へ運んだ日。救急車を呼ばなかった後悔


父との別れには、今も消えない後悔があります。
定年間際の私は、とにかく忙しい毎日を送っていました。仕事に追われ、時間に追われ、心にも余裕がありませんでした。
ある日、父の具合が悪くなりました。
私は救急車を呼ばず、自分の車で病院へ運びました。その判断が、その時の私には最善に見えたのかもしれません。けれど、今振り返ると胸が痛みます。
なぜ救急車を呼ばなかったのか。
もっと早く専門の手に委ねるべきではなかったのか。
この問いは、長い年月が過ぎても消えません。
突然訪れる別れは、無慈悲です。こちらの準備など、ほとんど関係なくやって来ます。言い訳も、反省も、別れの瞬間には間に合いません。
父を思うたび、私は自分の判断の重さを考えます。もちろん、過去を変えることはできません。それでも、あの日の後悔は、今の私を形づくっています。



命の場面では、家族だけで判断しきれないことがあります。だからこそ、日ごろから「もしもの時はどうするか」を話しておくことが大切なのだと思います。
だから私は、葬儀のサポートをしている


母との別れ。父との別れ。そこに残った感謝と後悔。
その二つが、今の私の葬儀サポートにつながっています。
葬儀は、単なる手続きではありません。会場を決める。費用を考える。宗教者との関係を整える。親族に連絡する。短い時間の中で、家族は多くの判断を迫られます。
悲しみの中で決めなければならないことが多すぎるのです。
だから、そばに一人、落ち着いて伴走する者がいるだけで、家族の負担は少し軽くなります。何を急ぐべきか。何は後でもよいのか。故人らしさをどこに残すのか。
私は、その迷いの中に立つご家族が、「これでよかった」と思える見送りを選べるように支えたいのです。
立派な葬儀でなくてもよいのです。高価な祭壇でなくてもよいのです。大切なのは、残された人の心が、故人に向かって静かに手を合わせられることです。



灯台守のその言葉に、私は深くうなずきます。
後悔は、消えません。けれど、後悔に飲み込まれるだけでは、旅は止まってしまいます。あの日の痛みを、誰かの支えに変えることができるなら、父や母も静かに見守ってくれるのではないか。そう思うのです。
後悔しない見送りのために、今できること


読者の皆さまに、強くお伝えしたいことがあります。
別れの準備は、縁起でもない話ではありません。家族を思いやる話です。
葬儀の希望を聞いておく。延命治療について考えを共有しておく。連絡してほしい人を確認しておく。写真や思い出の品を、どこに置いているか知っておく。
そうした小さな確認が、いざという時に家族を救います。
そして何より大切なのは、今日のうちに言葉を届けることです。
ありがとう。
助かったよ。
体に気をつけてね。
たった一言でも、言葉は人の心に残ります。別れの後に残るのは、豪華な品物よりも、日々の言葉であることが多いのです。



ミキさん、その感覚を大切にしてください。死を考えることは、生きている家族の心を守ることでもあります。
次回へ。終活ではなく、今を充たす「充活」へ


今回は、母と父の記憶をたどりながら、私がなぜ葬儀のサポートに関わるのかを書きました。
若くして逝った母。救急車を呼ばなかった父の日の後悔。どちらも、私にとっては消えない航海の記憶です。
けれど、その記憶は暗いだけのものではありません。今をどう生きるか。家族とどう向き合うか。誰かの別れにどう寄り添うか。その羅針盤にもなっています。
次回は、「終活」ではなく、今を充たす「充活」について考えてみたいと思います。
終わりの準備だけではなく、今日を少し豊かにすること。会いたい人に会うこと。好きな場所へ行くこと。学び直すこと。まだ胸の中に残っている火を、もう一度そっと灯すこと。
この文章が、読者の皆さまの中にある大切な人の顔を、静かに思い出すきっかけになれば幸いです。
編集後記
本稿は、個人の体験に基づくエッセイです。医療判断や救急要請については、地域の救急相談窓口や医療機関など、専門機関の案内を確認してください。家族のもしもの時ほど、一人で抱え込まないことが大切です。
タグ
82歳の羅針盤, 航海記, 家族葬, 葬儀サポート, 親孝行, 母の記憶, 父の記憶, 後悔しない見送り, 終活, 充活, 命のバトン


