2026年4月。今年も桜の季節が巡ってきました。世間がお花見に沸くこの時期、私の心には、30年にわたる教員生活で繰り返してきた「別れと新しい出会い」の情景が、薫る風のように蘇ります。今日は、私の人生の節目を彩ってきた「桜と音楽」の記憶を、羅針盤の一頁(ひとぺーじ)として記したいと思います。
喧騒の陰にある、教職員たちの「桜」


喧騒の陰にある、教職員たちの「桜」
学校現場において、4月は新学年の準備で1年の中でも最も多忙を極める時期です。世間が桜の下で宴会を楽しんでいる頃、私たちは夜遅くまで教室の設営や名簿の作成に追われ、職場でお花見を楽しむ余裕など、当時は考えも及ばないことでした。
しかし、この時期には「異動」という大きな節目があります。去りゆく仲間を送り、新しい仲間を迎える。室内で開かれる歓送迎会の窓越しに、満開の桜が見えることがよくありました。その花びらを見つめるとき、別れの寂しさと、新しい始まりへの期待が入り混じり、何とも言えない複雑な感情が込み上げてきたものです。



新築の体育館と「仰げば尊し」——卒業生の記憶
桜、そして音楽。そう聞いて私が真っ先に思い出すのは、自分自身の中学校の卒業式です。当時は新築されたばかりの体育館で、美しい花々がいっぱいに飾られていました。新しい木の匂いと花の香りが混ざり合った、あの独特の空気感は今も鮮明に覚えています。
卒業生として送られる自分の姿。体育館の天窓から差し込む春の光。その中で歌った「仰げば尊し」と「蛍の光」の旋律は、今も私の心に深く響いています。教育者として歩むずっと前、一人の少年として感じたあの旋律こそが、私の音楽人生の原点だったのかもしれません。


新築の体育館、あの日の花の匂いと歌声。
音楽教師の原点。滝廉太郎の『花』が繋ぐ絆


音楽教師の原点。滝廉太郎の『花』が繋ぐ絆
音楽教師としての思い出といえば、やはり滝廉太郎の「花」です。「春のうららの隅田川……」で始まるこの名曲は、3年生の音楽の教科書の、まさに一番初めに掲載されていました。4月の音楽室、満開の桜から新緑へと移ろう景色の中で、子どもたちと力いっぱい合唱したものでした。
授業での伴奏はほとんどの場合ピアノでしたが、私は時折、アコーディオンでこの曲を奏でてみたくなります。蛇腹(ベロー)を広げて呼吸を合わせるたび、音楽室の窓から入ってきた春の風と、生徒たちの真っ直ぐな歌声が蘇ります。



まとめ。82歳の私が次世代に伝えたい「春の余白」


まとめ。82歳の私が次世代に伝えたい「春の余白」
時代は変わり、お花見の形も変わりました。しかし、どんなに忙しくても、一度立ち止まって桜を見上げてみてください。そこには、あなたが歩んできた「別れ」の記憶と、これから踏み出す「出会い」の予感が、薫る風のように溶け込んでいるはずです。
82歳の私もまた、アコーディオンの音色と共に、この新しい春を丁寧に歩んでいきたいと思っています。人生の羅針盤が指し示す先には、いつも音楽と、そして温かな人の絆があると信じて。



