1989年(平成元年)夏。日本は昭和から平成へと元号が変わったばかりで、世の中全体が新しい時代の始まりに期待と緊張を抱いていました。私もまた、新しい学校・新しい生徒たちとの出会いに胸を高鳴らせながら、吹奏楽部の顧問として初めての夏を迎えていました。
今回は、連載「吹奏楽にかける日々」の番外編として、その夏の秘蔵写真を初公開します。カラーフィルムに焼き付けられた、平成最初の夏の記憶——。ぜひ、最後までお付き合いください。
県大会のグラウンドに立った、凛々しい姿



野球部が県大会に出場するとなれば、吹奏楽部の出番です。グラウンドでの式典演奏は、試合前の開会式に行われる、いわば「吹奏楽部の正装」とも言える場面。生駒市立上中学校の名を背負い、全校生徒の想いを音に乗せて届ける、その責任感と誇りが生徒たちの表情に滲んでいました。


指揮台に立つのは、卒業後も母校のために駆けつけてくれたOB・Yくん。制服に身を包んだ指揮姿は、後輩たちにとって何よりも頼もしい存在でした。グラウンドに響き渡る管楽器の音色は、炎天下にもかかわらず、澄んで力強く、スタンドの観客を静かに圧倒していました。
赤いTシャツが揃うアルプス席へ——応援の始まり



式典演奏を終えると、部員たちは素早く制服から赤いTシャツへと着替え、アルプス席へと移動します。金管楽器を抱えた部員たちが階段を駆け上がる姿は、まさに「応援モード全開」の合図。スタンドに陣取った部員たちが楽器を構えた瞬間、球場の空気が一変しました。


「ファイトー!」の掛け声とともに、トランペット、ホルン、チューバが一斉に鳴り響く。その音量と熱量は、グラウンドの選手たちに確かに届いていたはずです。炎天下の中、帽子や麦わら帽子で日差しを防ぎながらも、部員たちの目は輝いていました。
「楽器が持てないほど熱い」——それでも弾けた笑顔



真夏の球場での演奏は、想像を絶する過酷さです。トランペットやトロンボーンは直射日光を浴びて触れないほど熱くなり、唇は乾燥し、楽譜は風で飛ばされそうになる。それでも——カメラを向けると、生徒たちは満面の笑顔でピースサインを返してくれました。


この笑顔こそが、私が吹奏楽部の顧問を続けた理由の一つです。音楽は技術だけではありません。仲間と共に汗をかき、同じ目標に向かって全力を尽くす——その体験が、生徒たちの人生に何かを刻み込んでいくのだと、私はこの日確信しました。



先輩の背中——OB・Yくんが刻んだ絆
アルプス席での応援を力強くリードしたのも、OB・Yくんでした。黒いTシャツ姿に着替え、タクトを全身で振るその姿は、現役部員たちの目に焼き付いたことでしょう。卒業してもなお、母校の応援のために時間を割いてくれる——その行動が、言葉よりも雄弁に「吹奏楽部の誇り」を語っていました。


吹奏楽部の文化は、楽譜や楽器だけで受け継がれるものではありません。こうして先輩が後輩のために戻ってくる——その「人から人へ」の連鎖こそが、部活動の本当の財産だと私は思っています。Yくんの指揮を見上げる後輩たちの眼差しが、それを物語っていました。
応援の「心臓部」——打楽器セクションが刻むリズム
吹奏楽応援において、しばしば見過ごされがちなのが打楽器セクションの存在です。アルプススタンドの最上段、一番目立たない場所で、一打一打に魂を込めて太鼓を叩く生徒たち。しかし彼女たちこそが、応援全体のリズムを支える「心臓部」なのです。





スネアドラムの歯切れよい音、バスドラムの腹に響く低音、そしてシンバルの一撃。これらが絶妙に絡み合って初めて、吹奏楽の応援は「音楽」として完成します。炎天下の最上段で、汗だくになりながらも正確なリズムを刻み続けた彼女たちの姿は、私の目に今も鮮やかに焼き付いています。
平成元年の夏が教えてくれたこと



1989年の夏から37年が経ちました。あの時の生徒たちは、今や50代。それぞれの人生を歩んでいることでしょう。しかし、あの灼熱のアルプスで共に汗を流し、全力で音楽を奏でたあの夏の記憶は、きっと彼女たちの心の奥底に、消えることなく刻まれているはずです。
2026年の選抜甲子園でも、今日もどこかのアルプス席で、赤いTシャツを着た吹奏楽部員たちが必死に楽器を奏でているでしょう。炎天下で汗をかきながら、それでも笑顔で、仲間と一緒に音楽を届けようとしている——その姿は、37年前と何も変わっていません。
この写真たちは、私の引き出しの奥に眠っていた「平成元年の夏」の記録です。37年越しに日の目を見たこれらの写真が、今を生きる誰かの心に、小さな火を灯すことができれば——それ以上の喜びはありません。



【連載:吹奏楽にかける日々】次回の更新もお楽しみに。



