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1989年夏の記憶|灼熱のアルプスで奏でた「平成最初」の応援演奏【吹奏楽にかける日々・第2部 ①】

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吹奏楽にかける日々その2(1)1989年夏、生駒市立上中学校吹奏楽部が灼熱のアルプスで奏でた平成最初の応援演奏
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加藤(船長)
2026年の選抜甲子園。テレビから流れてくる応援歌の音色を聴いていると、不思議なことに、37年前の夏の記憶が鮮明に蘇ってくるのです。あの日、私は生駒市立上中学校に転勤したばかりの新任教師でした。

1989年(平成元年)夏。日本は昭和から平成へと元号が変わったばかりで、世の中全体が新しい時代の始まりに期待と緊張を抱いていました。私もまた、新しい学校・新しい生徒たちとの出会いに胸を高鳴らせながら、吹奏楽部の顧問として初めての夏を迎えていました。

今回は、連載「吹奏楽にかける日々」の番外編として、その夏の秘蔵写真を初公開します。カラーフィルムに焼き付けられた、平成最初の夏の記憶——。ぜひ、最後までお付き合いください。

目次

県大会のグラウンドに立った、凛々しい姿

加藤(アコーディオニスト)
転勤初年度の夏に、こんな大舞台を経験できるとは思っていませんでした。グラウンドに整列した生徒たちの背筋を見た瞬間、「この子たちは本物だ」と確信しました。

野球部が県大会に出場するとなれば、吹奏楽部の出番です。グラウンドでの式典演奏は、試合前の開会式に行われる、いわば「吹奏楽部の正装」とも言える場面。生駒市立上中学校の名を背負い、全校生徒の想いを音に乗せて届ける、その責任感と誇りが生徒たちの表情に滲んでいました。

1989年夏、生駒市立上中学校吹奏楽部が県大会グラウンドで式典演奏を行っている様子。制服姿の部員が整列している。
1989年夏、県大会グラウンドでの式典演奏。凛々しく整列した上中吹奏楽部の生徒たち。

指揮台に立つのは、卒業後も母校のために駆けつけてくれたOB・Yくん。制服に身を包んだ指揮姿は、後輩たちにとって何よりも頼もしい存在でした。グラウンドに響き渡る管楽器の音色は、炎天下にもかかわらず、澄んで力強く、スタンドの観客を静かに圧倒していました。

赤いTシャツが揃うアルプス席へ——応援の始まり

サトルくん(当時の教え子)
式典が終わった瞬間、みんなで着替えてアルプスへ駆け上がりました。あの「さあ、始まるぞ!」という高揚感は、今でも忘れられません。

式典演奏を終えると、部員たちは素早く制服から赤いTシャツへと着替え、アルプス席へと移動します。金管楽器を抱えた部員たちが階段を駆け上がる姿は、まさに「応援モード全開」の合図。スタンドに陣取った部員たちが楽器を構えた瞬間、球場の空気が一変しました。

アルプス席で赤いTシャツを着た上中吹奏楽部の部員たちが金管楽器を構えて応援演奏している全体の様子。
アルプス席を埋め尽くす赤いTシャツ。金管楽器を掲げ、全力で応援に臨む部員たち。

「ファイトー!」の掛け声とともに、トランペット、ホルン、チューバが一斉に鳴り響く。その音量と熱量は、グラウンドの選手たちに確かに届いていたはずです。炎天下の中、帽子や麦わら帽子で日差しを防ぎながらも、部員たちの目は輝いていました。

「楽器が持てないほど熱い」——それでも弾けた笑顔

加藤(アコーディオニスト)
金管楽器は直射日光で本当に熱くなります。唇も乾く、汗も止まらない。それでも生徒たちが笑顔でいられたのは、「仲間と一緒にいる」という喜びがあったからだと思います。

真夏の球場での演奏は、想像を絶する過酷さです。トランペットやトロンボーンは直射日光を浴びて触れないほど熱くなり、唇は乾燥し、楽譜は風で飛ばされそうになる。それでも——カメラを向けると、生徒たちは満面の笑顔でピースサインを返してくれました。

炎天下のアルプス席で、カメラに向かって笑顔でピースサインをする上中吹奏楽部の生徒たち。
過酷な暑さも吹き飛ばす、生徒たちの青春の笑顔。この笑顔が、私の教員人生の宝物です。

この笑顔こそが、私が吹奏楽部の顧問を続けた理由の一つです。音楽は技術だけではありません。仲間と共に汗をかき、同じ目標に向かって全力を尽くす——その体験が、生徒たちの人生に何かを刻み込んでいくのだと、私はこの日確信しました。

サトルくん(当時の教え子)
あの暑さは本当にきつかったけど、終わった後の達成感がすごくて。「また来年もやりたい!」って思ったのを覚えています。あの夏があったから、今の自分がいると思う。

先輩の背中——OB・Yくんが刻んだ絆

加藤(船長)
Yくんが卒業後も駆けつけてくれたことは、現役部員たちにとって何よりの励みでした。「先輩がこうして戻ってきてくれる」という事実が、後輩たちの誇りになるのです。

アルプス席での応援を力強くリードしたのも、OB・Yくんでした。黒いTシャツ姿に着替え、タクトを全身で振るその姿は、現役部員たちの目に焼き付いたことでしょう。卒業してもなお、母校の応援のために時間を割いてくれる——その行動が、言葉よりも雄弁に「吹奏楽部の誇り」を語っていました。

黒いTシャツ姿のOB・Yくんがアルプス席で全身でタクトを振り、上中吹奏楽部をリードしている。背後にはグラウンドが見える。
全身でタクトを振るOB・Yくん。先輩から後輩へと受け継がれる、吹奏楽部の魂。

吹奏楽部の文化は、楽譜や楽器だけで受け継がれるものではありません。こうして先輩が後輩のために戻ってくる——その「人から人へ」の連鎖こそが、部活動の本当の財産だと私は思っています。Yくんの指揮を見上げる後輩たちの眼差しが、それを物語っていました。

応援の「心臓部」——打楽器セクションが刻むリズム

吹奏楽応援において、しばしば見過ごされがちなのが打楽器セクションの存在です。アルプススタンドの最上段、一番目立たない場所で、一打一打に魂を込めて太鼓を叩く生徒たち。しかし彼女たちこそが、応援全体のリズムを支える「心臓部」なのです。

アルプススタンドの最上段で、スネアドラムやバスドラムを力強く叩く上中吹奏楽部の打楽器セクションの生徒たち。
応援の「心臓部」として全体のリズムを支える打楽器セクション。最上段からの一打が、球場全体を揺らす。
加藤(アコーディオニスト)
アコーディオンを弾く私にとっても、リズムは命です。しかし球場での打楽器は、まさに命綱。彼女たちが刻む一打一打が、金管楽器の音色を束ね、応援団全体の動きを一つにし、選手の足取りを力強く確かなものへと変えていくのです。

スネアドラムの歯切れよい音、バスドラムの腹に響く低音、そしてシンバルの一撃。これらが絶妙に絡み合って初めて、吹奏楽の応援は「音楽」として完成します。炎天下の最上段で、汗だくになりながらも正確なリズムを刻み続けた彼女たちの姿は、私の目に今も鮮やかに焼き付いています。

平成元年の夏が教えてくれたこと

灯台守
昭和から平成へ——時代が変わっても、若者が音楽に情熱を注ぐ姿は変わらない。1989年の夏に灼熱のアルプスで奏でられた音楽は、令和の今も、確かに誰かの心の中で鳴り続けているはずです。

1989年の夏から37年が経ちました。あの時の生徒たちは、今や50代。それぞれの人生を歩んでいることでしょう。しかし、あの灼熱のアルプスで共に汗を流し、全力で音楽を奏でたあの夏の記憶は、きっと彼女たちの心の奥底に、消えることなく刻まれているはずです。

2026年の選抜甲子園でも、今日もどこかのアルプス席で、赤いTシャツを着た吹奏楽部員たちが必死に楽器を奏でているでしょう。炎天下で汗をかきながら、それでも笑顔で、仲間と一緒に音楽を届けようとしている——その姿は、37年前と何も変わっていません。

加藤(船長)
教育とは、知識を教えることだけではありません。音楽を通じて、仲間と共に何かを成し遂げる喜びを知ること。過酷な環境でも笑顔でいられる強さを持つこと。そして、先輩から後輩へと想いを受け継ぐこと——吹奏楽部はそれを教えてくれる、かけがえのない場所でした。

この写真たちは、私の引き出しの奥に眠っていた「平成元年の夏」の記録です。37年越しに日の目を見たこれらの写真が、今を生きる誰かの心に、小さな火を灯すことができれば——それ以上の喜びはありません。

灯台守
時代は流れ、元号は変わっても、音楽と情熱は世代を超えて受け継がれていく。1989年の夏に灼熱のアルプスで奏でられた音楽は、令和の今も、確かに誰かの心の中で鳴り続けているはずです。あなたの「応援歌」は、何ですか?

【連載:吹奏楽にかける日々】次回の更新もお楽しみに。

黒いTシャツ姿のOB・Yくんがアルプス席で全身でタクトを振り、吹奏楽部をリードしている。


連載:吹奏楽にかける日々/その2(上中学校編)

現在は【第1回】を公開中。次回の更新をお楽しみに!

連載の全話一覧・目次はこちら

← 前章:北中学校編(第1回〜17回)を振り返る

アコーディオンと共に

筆者:加藤 凌について
36年の教員生活を経て、58歳から起業。現在は「蒼き航海・・82歳の羅針盤」編集長として、人生の知恵とトレンドを融合させた情報を発信中。
私のモットー: 「生涯現役、好奇心は羅針盤」
最近の関心事: AI活用とアコーディオン演奏
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