米プロバスケットボールNBAで、日本人初のドラフト1巡目指名で「ワシントン・ウィザーズ」に入団し現在活躍中の八村塁選手は、ルーキーランキングで八村塁が3位に浮上するなど、ますます素晴らしい演技を見せ注目を集めています。
今回は、八村塁選手の気になる詳細プロフィール・経歴、出身校や両親・家族・年末の負傷と手術・好物の白えびビーバーのことまで一挙に紹介していきたいと思います。
八村塁の Wiki プロフィール・経歴公開!
プロフィール
名前:八村塁(はちむら・るい)
愛称:るい、はっち
生年月日:1998年2月8日生(22歳)
出身地:富山県富山市
出身学校: 富山市立奥田中学校(2010-2013)、明成高等学校(2013-2016)、ゴンザガ大学(2016-2019)
身長:203cm
体重:104.3kg
血液型:A型
八村塁選手は、スモールフォワードからパワーフォワードをこなすプレイヤーです。
八村塁選手のキャリア
2019-20 ワシントン・ウィザーズに所属。
2020年2月13日(日本時間14日)付の『NBA.com』のルーキーランキングで3位に浮上しました。
八村塁選手の家族はどんな方?父は元バスケ選手で母は英会話講師!?
恵まれた身体能力と直向きな努力で活躍されている八村塁選手ですが、ご両親はどのような方なのでしょうか?
- 父親は「ザカリ・ジャビル」さん。ベナン共和国(西アフリカ)出身で学業がとても優秀、奨学金でカイロ大学に留学するほどのエリート。フランス語、日本語など7カ国語が話せるようです。元バスケットボール選手だったこともあるようです。
今は、富山で居酒屋を経営しているようです。 - 母親は「麻紀子」さん。富山県出身、語学が堪能で、英語とフランス語の教室を開いたり、小学校の外国語講師をされていました。
八村塁選手は、お二人の家庭の長男として生まれ、4人兄弟で、下に弟1人と妹が2人います。
弟さんも身長が198cmもあり、やはりバスケの選手、妹さんも2人ともバスケをしているようです。
両親の国籍が異なるスポーツ選手がここ最近日本のスポーツ界でも珍しくなくなっていますね。
八村塁選手の出身校はどこ!?
八村塁選手の学歴を振り返っていきましょう。
- 小学校:奥田小学校or奥田北小学校
- 中学校:奥田中学校
- 高校:明成高校
- 大学:ゴンザガ大学
奥田中学校では、プレイしていた経験もあります。
小学校
小学校は公表されていないため、どの学校に通っていたのかはわかりませんでした。
ちなみにですが、小学生の時は陸上と野球をプレイしていたようです。
陸上では、100mで富山県大会で優勝、野球はキャッチャーで4番だったそうです。そのころから、運動神経抜群だったんですね。
八村塁選手は中学時代が大きな転機に!坂本コーチや馬場雄大選手との出会いも!
八村選手に転機が訪れたのは、中学校時代です。地元の公立中学校「富山市立奥田中学校」に入学します。
入学当時は部活動に入っていなかったのですが、小6ですでに身長170センチだった彼は、同級生にしつこく勧誘され、根負けする形でバスケットボール部に入部します。
中学生から始めた事で相当遅いスタートとなりました。
その彼を最初に見出したのは、当時のコーチである坂本譲治さんです。
実際、最初はボールの扱いすらままならなかった八村塁選手ですが、坂本コーチは「褒め称えて気持ちを高めさせる」ことで八村塁少年をバスケットボールに向き合わせました。
坂本譲治さんの指導哲学として、「子どもには潜在能力があり、環境を整えてあげることが育成への鍵」と語っています。
その結果、八村塁選手が1、2年生の時は全国大会に出場できなかったものの、3年生次にはみごと!2012年全国大会に出場し、決勝で西福岡中学校に敗れたものの準優勝に輝き、八村塁選手は大会ベスト5に選出されました。
1年生の時の3年生には、同バスケ部には現在アルバルク東京で活躍する日本代表馬場雄大選手が所属しており、2人は日本代表としてプレイする前に奥田中学校で共にプレイしていたのです。今や日本のバスケを背負う存在になっているわけですから、非常に運命的ですよね。
高校 常に優勝に貢献し、度々大会ベス5に選ばれる!
奥田中学校を卒業後、親元を離れ宮城県仙台市の明成高校へと進学をしました。
1年生の時からチームの主力として活躍し、1年生のインターハイではベスト4、ウィンターカップでは1試合平均27.4点の活躍でチームの優勝に貢献し、大会ベスト5にも選出されました。
ウィンターカップの準決勝・決勝の2試合では共に30点オーバーを記録するなど、当時から勝負強さは健在でした。
2年生の時にはインターハイでは、決勝で福岡大学附属大濠高校に敗れ準優勝に終わったものの、ウィンターカップでは1試合平均28点の活躍で優勝に貢献。決勝ではインターハイで敗れた福岡大学附属大濠高校を相手に2点差で勝利し、リベンジを果たしました。
2年生のウィンターカップではもちろんベスト5に選出されています。
最上級生となった3年時には、インターハイで明成高校史上初のインターハイ優勝を成し遂げると、ウィンターカップでは1試合平均22.4点を記録し、大会3連覇に貢献し、もちろん大会ベスト5にも選出され、高校バスケ界を見事に席巻しました。
1年:インターハイ→ベスト4、ウィンターカップ→優勝
2年:インターハイ→準優勝、ウィンターカップ→優勝
3年:インターハイ→優勝、ウィンターカップ→優勝
大学
明成高校を卒業した八村塁選手は、アメリカのゴンザガ大学へ進学。
ゴンザガ大学は、シアトルから東へ450km。ワシントン州にある中規模で静かな街、スポケーンにあって、生徒数は約7500人。バスケの一流選手が集まるバッスケットチームの強豪として名高い大学です。
八村塁選手は、この大学では、チームトップの得点をあげる程チームの主力選手となって活躍しました。
ゴンザガ大のマーク・フューヘッドコーチは「ルイがゴンザガでバスケ選手として活躍するには、言葉や勉強、文化など、すべての壁を乗り越えなければならなかった。彼はものすごい努力をしてこれらの壁を突破し、3年目に私たちのチームのエースになったのです」と、八村が積み上げてきた努力をたたえています。
2019年6月ウィザーズからのドラフト指名を受けて7月1日正式契約・入団、3年間の大学生活にピリオドを打ちました。活躍の舞台はいよいよNBAに移りました。
そもそもなぜゴンザガ大学へ進学できたのか?
八村塁選手のゴンザガ大学での活躍に触れる前に、そもそもなぜNCAAディビジョン1のゴンザガ大学へと進学できたのでしょうか?
基本的に日本人の場合、日本の高校で活躍をしたとしても世界最高峰のアメリカの大学から、しかもNCAAディビジョン1のチームからオファーが届くことはそうそうありません。
そんな日本人の中でも、八村塁選手が大学やプロチームのスカウトの目に留まるようになったのは、2014年に開催されたU-17世界選手権が1つのきっかけになっています。
日本代表自体は世界選手権で1勝6敗の14位で大会を終えていますが、八村塁選手は平均得点・総得点共に全体の1位を記録しており、国際大会の舞台でも活躍できることを証明したからです。
この世界選手権には、アメリカやオーストラリア、スペインなどの世界の強豪国が参加しており、実際に日本代表はスポーツ界に十代の新星が続々と登場した2015年、年の瀬に超新星が輝いきました。
高校生ながら、すでに男子バスケットボール日本代表候補に選ばれている八村塁選手だったからです。
八村塁選手の好物「白えびビーバー」に注文殺到?!
北陸定番の米菓子「白えびビーバー」が、八村塁選手がドラフト後にチームメートにお裾分けし、その味に絶賛の声が上がり話題になっています。
北陸製菓(石川・金沢市)によると、“八村効果”で全国から注文が殺到し、サーバーがダウンするほどだった7月から約6か月がたった今もなお、品薄状態が続いているようです。
八村効果で今も入手困難な北陸製菓の「白えびビーバー」とは?
日高昆布を、北陸産もち米に練り込み、鳴門の焼き塩を効かせた、北陸で愛される米菓子。大阪万博が開催された1970年に、福富屋製菓で販売開始。万博のカナダ館にあったビーバーの人形の歯の形と似ていたため、現商品名に。
現在販売されているのは、プレーン、白えび、カレー、のどぐろの全4種類。
八村選手、ドラフト全体9位指名、獲得は「国際的なアピールとなる」と評価
2019年は、バスケットボール界で、とんでもない快挙が起きました。
ニューヨーク現地時間の6月20日、八村塁(21)はNBAのワシントン・ウィザーズからドラフト1巡目の全体9位で指名を受けました。日本人指名は史上初めての快挙。日本バスケ界にとって歴史が動いた日でした。
ウィザーズ・八村塁。新人ながらチームには欠かせぬ存在!
ウィザーズに入団した八村塁は5日、セブンティシクサーズ戦にPFで先発出場した前半だけで19点を記録し、後半は懸命のディフェンスで相手の反撃を阻止。監督は試合後、「7、8年プレーしているベテランのようだ」と八村を評価しています。
12月の怪我では手術を受けたとのツイートも?
八村塁選手は、2019年12月ピストンズ戦にて前半終了間際に鼠径(そけい)部を怪我して、しばらく戦列を離れました。
「八村塁(21)が手術を受けていた」と、米メディアNBCスポーツ・ワシントンのチェイス・ヒューズ記者が31日(日本時間1日)にツイートしましたが、手術に関する公式発表はありませんでした。
復帰後は、指揮官も絶賛の活躍!
1月3日のウォリアーズ戦で24試合ぶりに復帰を果たし、開始16秒で得点を記録、指揮官も絶賛でした。
若手のオールスター「ライジング・スターズ・チャレンジ」には、「世界選抜」の一員として出場。前半を終えて12分54秒のプレーで12得点、4リバウンドを記録しました。
八村塁選手の活躍は、毎日のように報道されていて、挙げた得点数が報じられ、リバウンドやブロックショットに言及されることもあります。
「20得点を挙げた」、「ダブルダブル」「ダンク」を記録したといったバスケットボールにおける用語が、日常の報道に定着しつつあるようです。
八村塁選手のまとめ
八村塁選手の高校や大学と経歴、八村塁選手の父親・母親・弟さん・妹さんについても
八村塁選手がゴンザガ大学、ドラフト指名、そして、NBAでの大活躍についてもお話ししてきました。
八村塁選手の活躍もあって、バスケットボールは今日本でいちばんアツい競技かも知れません。
なぜなら、国内でも2,016年「Bリーグ」が開幕し、2020東京大会では第21回モントリオール大会(1976年)以来44年ぶりに出場が出来る様になっているからです。
これからの八村塁選手の活躍をますます応援していきたいと思います。
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