天才柔道家・古賀稔彦(としひこ)さんが「ぶっこみジャパニーズ」に出演されます。
古賀稔彦さんといえば、普通ならまともに歩くこともできないほどのケガにもかかわらず、「絶体絶命から勝ち取った!あのバルセロナ五輪金メダルの凄み」のエピソードがあまりにも有名ですね。
現代の柔道において、歴史を築いた選手は?と聞かれれば、真っ先に古賀稔彦の名前が上がるでしょう。
今回は天才・古賀稔彦さんの凄さ、プロフィールや経歴、考え方や現役引退後のお仕事、ご家族などについて調査して紹介していきます。
古賀稔彦(としひこ)さんの Wiki プロフィール・経歴公開!
プロフィール
- 名前:古賀 稔彦(こが・としひこ)
- 生年月日:1967年11月21日(52歳)
- 出身:佐賀県三養基郡北茂安町(現・みやき町)
- 出身校:弦巻中学、世田谷学園高等学校、日本体育大学卒業
- 身長・体重:169cm、71kg
- 血液型:A型
- 段位:八段
- 職業:環太平洋大学教授(弘前大学博士(医学))。日本健康医療専門学校校長
- 現在:古賀塾塾長
- 家族: 長男は73kg級、全日本ジュニア体重別選手権3位の古賀颯人
弟は世界カデ60kg級で優勝した古賀玄暉
妹は全国中学校柔道大会52kg級で2位の古賀ひより
- 代表的な成績:1992年バルセロナオリンピック柔道男子71kg級金メダリスト、引退2000年4月
- 公式ブログ:https://ameblo.jp/koga-toshihiko/
- ツイッター:古賀稔彦公認のTwitterも!@Koga_Toshihiko
古賀稔彦さんの訃報が飛び込みました。
【がんが死因】古賀稔彦さん(柔道)の訃報に続々寄せられる“驚愕の声”
古賀稔彦の経歴
中学進学と同時に上京、東京・世田谷の「講道学舎」に入門、弦巻中学、世田谷学園高時代に数々の全国大会を個人・団体戦で制覇。1985年に国際高校柔道選手権大会で優勝。
その後も国内、海外を問わず数々の大会で優勝し、1990年には体重無差別で行われる全日本選手権で準優勝。
1992年のバルセロナ五輪では、大会直前の大ケガを背負いながらも金メダルを獲得、両手を広げ雄たけびを上げ、日本中の感動を呼びました。
その後も1996年のアトランタ五輪では銀メダルを獲得。
常に一本を取りに行く柔道と、小柄な体からの切れ味鋭い技の数々、豪快な一本背負投が得意技であることから「平成の三四郎」の異名をとりました。
2000年4月に現役引退されました。
古賀柔道の強さの秘密
古賀選手の強さは何といっても背負い投げです。
「古賀と言ったら背負い投げ、背負い投げと言ったら古賀」というように当時は古賀選手の代名詞ともなっていました。
「背中に目を持つ」と言われる古賀選手の背負い投げは、一瞬のスキをついて相手の懐に入ると、逃げようとする相手を背中でコントロールし、一気に一回転させます。
その豪快な勝ち方は、まさに圧巻です。
当然、対戦相手も古賀選手の背負い投げは警戒します。しかし、それを物ともせずに一本勝ちの山を築いていきます。
しまいには古賀選手に襟を掴まれただけで逃げて膝をついてしまい、反則負けになる選手までいました。
各国の代表選手でさえ、回避不可能な古賀選手の背負い投げは、まさに伝家の宝刀、柔道史に残る背負いの名手と言えます。
元々ガニ股だった古賀選手、学生時代は普段から常に内股で歩くようにして背負い投げの形を体に染みつけようとしていたそうです。
きびしい練習で知られる弦巻中学、世田谷学園で、さらに普段の生活まで柔道のために費やしていたのですね。
そんな努力もあり世界一の背負い投げを習得したのです。
実は古賀選手の使う技はそれほど多くありません。
背負い投げと組み合わせる「小内刈り」、そして腰を引いた相手を投げるための「巴投げ」。
主に使う技はこの3つだけなのです。たった3つの技で世界を制したのですから本当にすごいですね。
引退後の古賀稔彦さんの活動
指導者としての古賀稔彦さん
2000年に現役引退後、人の夢の後押しをする指導者の道に魅せられ、「指導者・古賀稔彦」として全日本女子柔道チーム強化コーチを務めます。
2003年4月からは子供の人間育成を目的とした町道場「古賀塾」を開塾。
2004年のアテネ五輪では、金メダルを獲得した谷本歩実選手のコーチとして 脚光を浴び、愛弟子を称えた抱擁のシーンは感動を呼びました。
他、全日本柔道連盟女子強化委員、東京オリンピック基本構想懇談会委員を歴任した。
2007年4月からはIPU環太平洋大学の女子柔道部総監督として就任し、2008年には日本健康医療専門学校校長に就任。
2011年10月、全日本学生柔道体重別団体優勝大会で大会2連覇へ導いている。
2014年から全日本柔道連盟女子強化委員
2015年 東京オリンピック強化スタッフに就任
子どもたちや選手たちの指導のために医学博士号を習得!
柔道の指導者として、子供たちや選手たち、一人一人にとって本当に必要なものを伝え・教え・サポートしていきたいとの思いから、医学の勉強を決心し、2012年には弘前大学大学院医学研究科博士課程を修了し、医学博士号を習得されました。
メディア出演や全国での講演も!
テレビ出演や各地で講演を積極的に行い、目標を持つ素晴らしさとそれを達成する心のあり方を明快に伝えておられます、
各地で講演を積極的に行い、目標を持つ素晴らしさとそれを達成する心のあり方を明快に伝えている。全国で数多くの講演、トークショー、柔道教室を行っておられます。
講演
- 1月17日 豊川市民プラザ(愛知県)講演テーマ「夢、目標にチャレンジ~挑戦する事の大切さ~」
- 1月20日 湯本富士屋ホテル(神奈川県)講演テーマ「夢の実現~挑戦することの大切さ~」
- 1月21日 ハイアットリージェンシー京都(京都府)講演テーマ「人生の教科書」
- 1月24日 ベルサール秋葉原(東京都)講演テーマ「人生の教科書」
- 1月30日 埼玉県県民健康センター(埼玉県)講演テーマ「自分で問題解決できる人材を育てる」
テレビ出演
- ミライ☆モンスター(フジテレビ系列)2015年4月12
- ぶっこみジャパニーズ 2020年3月17日(予定)
教育に「人間力」を! 古賀稔彦さんが主宰する古賀塾
最近無気力に見えてしまう中学生・高校生。何を目指しているかさえ自分で解らない大学生。仕事に追われ家庭すら振り返ることのできない元気のなくなった親父たち。
こんな日本を少しでも元気に変えていきたい!地域スポーツ(町道場)の活性化によって大人達、子供達の交流、親子の交流が人間・家族の絆を少しでも強くなってほしい!
そんな思いから「古賀塾」を開いて子どもたちを指導されています。
「夢の実現~挑戦することの大切さ~」
古賀稔彦さんの言葉から
そして、自分に自ら目標を与える。
あきらめからは、決して何も生まれません。
ライバルが敵ではない。
自分が成長していくために
必要なありがたい競争仲間。
自分自身をどれだけ出せるか。
それは自分次第。
古賀稔彦の家族や兄弟は?
古賀稔彦選手の家族は、嫁・子供3人の五人家族です。
今の奥さんは2人目の奥さんだそうです。元の奥さんは国士舘の自由道指導者の娘さんで、離婚の原因は、まえの奥さんと結婚している時に不倫がバレてしまっての離婚だったそうです。福岡県のホテルで密会中に「古賀稔彦 金メダルを捨てた”不倫愛”」としてフライデーされてしまったようです。
その不倫相手が現在の奥さんです。結果的には不倫から始まって略奪という形になりました。
長男の颯人(はやと)さんも、柔道家、階級は73kg級。現在は父と同じ日体大に在学中。2017年の日本一決定戦「全日本ジュニア体重別選手権」で3位の実力です。
弟の玄暉(げんき)さんは兄の颯人さんと同じ日体大に在学中、階級は60kg級です。IJF世界ランキングは350ポイント獲得で68位(19/4/15現在)と活躍されています。
妹のひよりさんは、2000年生まれの現在19歳、高校は岡山県にある創志学園高校に進学されたようです。
ひよりさんも父親や兄さんと同様柔道のセンスがあり、日本代表として国際大会にも出場しています。流石ですね
まとめ
今回は古賀稔彦さんについて調べてみました。
古賀稔彦さんは、国内、海外を問わず数々の大会で優勝し、2回のオリンピックでもメダルを獲得。一撃必殺の背負投げを武器に世界を制し、その強さから「平成の三四郎」と呼ばれました。
引退後は人の夢の後押しをする指導者の道に魅せられ、「指導者・古賀稔彦」として、全日本女子柔道チームのコーチを務め、金メダルを獲得した谷本歩実を育てるなどコーチとしても 脚光を浴びるかたわら、子供の人間育成を目的とした町道場「古賀塾」を開塾。
また、教えるために必要となった医学の勉強を決心し、大学院で博士課程を修了、医学博士号を習得されます。そして日本健康医療専門学校校長にも就任されています。
一方で、各地で講演を積極的に行い、「目標を持つ素晴らしさとそれを達成する心のあり方」を伝えておられます。
今年52歳、これからもまだまだ活動の幅を広げ、ますます頑張っていただきたいと思います。
- 古賀稔彦さんの訃報が飛び込みました。
【がんが死因】古賀稔彦さん(柔道)の訃報に続々寄せられる“驚愕の声”
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