元サッカー日本代表選手の内田篤人選手。
サッカー界を引っ張ってきた内田選手が電撃発表をされました。
そんな内田選手のプロフィールや来歴なども合わせて紹介していきます。
内田篤人さんのプロフィール、来歴を紹介
内田篤人さんのプロフィール
- 名 前:内田篤人(うちだ・あつと)
- 生年月日:1988年3月27日
- 年 齡:32歳
- 出身地:静岡県田方郡函南町
- 学 校:函南中学校、清水東高等学校
- 身長:176㎝
- 体重:67kg
- ポジション: DF (SB) / MF (WB)
- 所 属:鹿島アントラーズ
内田篤人さんの来歴
プロ入り前
中学校時代は目立つ活躍はなかったが、強豪校で進学校でもある清水東高等学校に入学。
卒業時に8クラブほどに興味を示され、2006年に鹿島アントラーズへ加入。
鹿島アントラーズ時代
パウロ・アウトゥオリ監督に高く評価され、Jリーグ開幕戦(対広島)でクラブ史上初となる高卒ルーキーでのスタメン出場を果たし、ドリブルから先制点となるPKを獲得。
第4節甲府戦では、ドリブル突破からの先制点でクラブ史上最年少得点を記録し、2点目もアシスト。なお、17歳11か月22日でのプロ初得点は、当時の記録である18歳1か月15日を上回り高卒ルーキーの史上最年少得点記録となりました。
また、同年のJリーグオールスターサッカーではDF最多得票で史上最年少出場を果たしました。
2007年、名良橋晃から指名され背番号2を引き継いだ。
2008年、自身初のJリーグベストイレブンに選出されるなど評価を高め、シーズンオフには鹿島と4年半の長期契約を結びました。
2009年、鹿島は史上初のJリーグ3連覇を達成し、内田自身も2年連続でJリーグベストイレブンに選出。
シャルケ04時代
2010年7月1日に、推定1億5000万円の移籍金でドイツ・ブンデスリーガのシャルケ04へ3年契約で完全移籍。
移籍当初は代表戦での負傷もあり低調な滑り出しとなったが、秋には右サイドバックのレギュラーに定着しました。
11月24日のUEFAチャンピオンズリーグ(CL)B組1位通過での決勝トーナメント進出に貢献。
CL決勝トーナメント準々決勝では長友佑都が所属するインテルと対戦し、CL初の日本人対決を実現させました。
シャルケは両試合とも2-5、2-1で圧勝し、内田は『EURO SPORT』が選ぶCL準々決勝第1戦のベストイレブンに選出されました。
準決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦では敗れたものの、CLベスト4という記録はクラブ史上、また日本人としても初めてのことでした。
2011-12シーズンは前半戦は怪我によって、定位置を失いかけましたが、後半戦はレギュラーの座を取り戻しました。
2012-13シーズンは開幕前に契約を2015年6月まで延長。
2013-14シーズンも前半戦は安定したプレーを続けていたが、年明けの2014年2月に右太ももを痛め戦線離脱し、シーズン内に復帰することはできませんでした。
2014年10月30日、シャルケと2018年6月までの新契約を結びました。
2015年3月初旬、対ホッフェンハイム戦で膝蓋腱を負傷し戦線を離脱。
そのまま2014-15シーズンを終え、シーズンオフの同年6月に右膝の手術を行う。
その後、リハビリに励みましたが十分な回復に至れず、一試合も公式戦に出場できないまま同シーズンを終える事となりました。
また日本代表戦にも召集されることはありませんでした。
ウニオン・ベルリン時代
2017年8月21日、出場機会を求め、シャルケからブンデスリーガ2部のFCウニオン・ベルリンに2018年6月までの1年契約で完全移籍することが決定。
9月10日に行われた第5節のフォルトゥナ・デュッセルドルフ戦で移籍後初出場を果たしましたが、宇佐美貴史との日本人対決には敗れました。
9月20日、SVザントハウゼン戦では約2年半ぶりの先発フル出場を果たした。
しかし10月17日に左太ももに肉離れを負ったことが発表され、戦線を離脱。
更にクリストファー・トリメルとのポジション争いにも敗れ、ウニオン・ベルリンでのリーグ戦出場は前述の2試合のみとなりました。
鹿島アントラーズ時代(第2次)
2018年1月2日、古巣である鹿島アントラーズへの復帰が発表されました。
2月25日、開幕戦の清水エスパルス戦で約8年ぶりにJリーグのピッチに立ちました。
10月3日、ACL準決勝1stレグ・水原三星戦で、移籍後初得点となる貴重な逆転ゴールを挙げました。
2019年シーズンは、第5節の磐田戦での負傷によってリーグ戦10試合の出場にとどまりました。
2020年8月20日、2020シーズンでの引退を発表。
シーズン終了まで残っていた契約は8月31日で終了し、8月23日のガンバ大阪戦がラストマッチに。
内田篤人選手が引退を発表!
鹿島アントラーズ所属の元日本代表のDF内田篤人選手が現役引退を発表しました。
8月23日のG大阪戦がラストマッチとなるようです。
まだまだ32歳と若くしての引退発表となったので、ファンたちから悲しみのコメントが上がっています。
どうして引退を発表されたのでしょうか?
内田篤人選手の引退理由は怪我が原因?
内田選手の引退の理由は怪我が原因となっているようです。
2014年に右膝を負傷して、2015年には手術を受けられています。
そこからは、肉離れなど怪我との戦いとなりました。
何度も怪我によって戦線を離れることになって、リハビリを繰り返していました。
何年も怪我に悩まされて、試合に出場することもままならない状態だったということですが、記者などの前では決して弱音を吐かなかったそうです。
もっとプレーできたはずなのに、怪我によって引退しなければいけないというのは、相当な悔しさがあると思います。
内田篤人選手のまとめ
今回の内田選手の引退発表には驚きましたが、お疲れ様でしたと言いたいですね。
もっと内田選手の活躍を見ていきたかったですが、ご本人が一番辛い決断だったかと思います。
サッカー選手としては引退してしまいますが、サッカーに別の形で携わっていく姿を是非とも見てみたいですね。
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