いま、SNS上で一つの「発言」を巡り激しい論争が巻き起こっています。元経産省官僚で慶應義塾大学教授の岸博幸氏が、れいわ新選組・山本太郎氏の「死ぬ前に言いたいこと全部、言うたるぞ」という発言に対し、自身の闘病経験を交えて苦言を呈したのです。
Yahoo!ニュースでは数千件のコメントが寄せられ、X(旧Twitter)ではトレンド入り。なぜこれほどまでに人々の感情を揺さぶっているのか?両者の主張と、ネット上での主な論点を整理しました。
トレみいま、SNS上で激しい論争が巻き起こっている理由

SNSで数十万件のポストが飛び交う政治論争の現場
2026年2月7日、Yahoo!ニュースに掲載された記事には、わずか数時間で877件のコメントと2,400件以上のリアクションが集まりました。X(旧Twitter)でも「山本太郎」「岸博幸」がトレンド入りし、10万ポストを超える大論争に発展しています。
この騒動の発端は、山本太郎氏が2026年2月6日に大阪で行った応援演説での発言です。「死ぬ前に言いたいこと全部、言うたるぞ」「遺言として言うとかなあかんこといっぱいあんのよ」という言葉に対し、同じく多発性骨髄腫という血液の病気を患っている岸博幸氏が、「この発言はダメ」と真っ向から批判したのです。
単なる政治家同士の言い争いではなく、「病気」「死」「言葉の重み」という極めてセンシティブなテーマが絡んでいるため、多くの人が「自分ごと」として受け止め、感情的な反応を示しています。特に、実際に病気と闘っている当事者や、その家族からは切実な声が上がっています。
トレみ事の発端:山本太郎氏の「死ぬ前に」発言とは?

大阪5区の応援演説で約1,500人の聴衆を前に語る山本太郎氏
まず、時系列で事実関係を整理しましょう。山本太郎氏は2026年1月21日、党の公式YouTubeチャンネルで「多発性骨髄腫の一歩手前」と診断されたことを公表し、参議院議員を辞職、無期限活動停止を発表しました。この発表を受けて、岸博幸氏は当時、Xで「頑張って早く復活してくれ!」とエールを送っていました。
ところが、わずか2週間後の2月5日、山本氏は東京・池袋で街頭演説に復帰。さらに翌6日には大阪5区で大石晃子共同代表の応援演説に登場し、次のように発言しました。
「死ぬ前に言いたいこと全部、言うたるぞ」
「遺言として言うとかなあかんこといっぱいあんのよ」
「生きるからね、僕は。生き延びるからね」
この発言は、政治家としての覚悟や命懸けの姿勢を示すための比喩表現と受け取ることもできます。実際、山本氏は「生き延びる」とも明言しており、決して自暴自棄になっているわけではありません。しかし、この表現が一部の人々、特に同じ病気と闘っている岸博幸氏の心に深く刺さることになったのです。
トレみ岸博幸氏が苦言を呈した「3つの理由」

多発性骨髄腫と闘いながら社会に発信を続ける岸博幸氏
岸博幸氏は2023年7月に多発性骨髄腫を公表し、以来、治療を続けながら大学教授としての活動を継続しています。そんな岸氏が、山本氏の発言に対してXで次のように苦言を呈しました。
理由①:「死ぬ前に」という表現への違和感
岸氏はまず、「山本太郎氏の復帰は嬉しいけど、この”死ぬ前に”という発言はダメ」と明言しました。多発性骨髄腫は確かに深刻な病気ですが、適切な治療を受ければ長期生存も可能です。岸氏自身も2023年から治療を続けており、現在も活動を継続しています。
「多発性骨髄腫の”一歩手前”って謎の表現だけど、血液の数値がそこまで悪化してないなら、まだ死ぬ心配はないはず」と岸氏は指摘します。つまり、医学的な現実と「死ぬ前に」という表現のギャップに強い違和感を覚えたのです。
理由②:闘病中の患者への配慮の欠如
岸氏が最も強調したのは、同じ病気と闘っている人たちへの配慮です。「この病気に負けず少しでも長生きしようと造血幹細胞移植などしんどい治療に耐えて頑張っている人たちに失礼だと思う」と述べています。
多発性骨髄腫の治療は、抗がん剤治療や造血幹細胞移植など、身体的にも精神的にも非常に過酷です。そうした治療に耐えながら「生きる」ために必死に闘っている患者やその家族にとって、「死ぬ前に」という表現は、自分たちの努力を軽んじられているように感じられる可能性があります。
理由③:政治的パフォーマンスへの懸念
岸氏は直接的には述べていませんが、多くのネットユーザーが指摘しているのは、「死」を政治的なパフォーマンスに利用しているのではないかという懸念です。選挙期間中に「遺言」「死ぬ前に」といった強い言葉を使うことで、有権者の同情や注目を集めようとしているのではないか、という見方です。
岸氏は最後に「すごく残念」と締めくくっており、その言葉には、同じ病気を患う者として山本氏にエールを送っていただけに、裏切られたような複雑な感情が滲んでいます。
トレみネットの反応:3つの視点で読み解く

賛否両論が渦巻くSNS上の議論
この論争に対するネット上の反応は、大きく3つの視点に分かれています。それぞれの立場を冷静に見ていきましょう。
視点①:岸氏への共感 — 当事者目線の切実な声
「実際に病と闘っている人からすれば、死を軽々しく口にしてほしくないという気持ちは痛いほどわかる」という声が多数寄せられています。特に、がんや難病を患っている患者やその家族からは、「生きるために必死に闘っているのに、『死ぬ前に』なんて言葉を使わないでほしい」という切実な意見が目立ちます。
Yahoo!ニュースのコメント欄には、「岸さんの指摘は正論。病気を政治利用するのは許せない」「同じ病気の患者として、山本氏の発言には違和感しかない」といった声が並んでいます。これらのコメントには、「学びがある」「わかりやすい」といったリアクションが多く付けられており、共感の輪が広がっていることがわかります。
視点②:山本氏の意図の解釈 — 比喩表現としての擁護
一方で、「政治家として命懸けで挑むという比喩表現であり、岸氏の指摘は言葉の揚げ足取りではないか」という擁護・反論の声も少なくありません。山本氏の支持者を中心に、「『死ぬ前に』は文字通りの意味ではなく、覚悟を示す表現だ」という解釈が広がっています。
「山本さんは『生き延びる』とも言っている。死を軽んじているわけではない」「政治家が命懸けで戦うという決意表明を、ここまで批判するのはおかしい」といった意見も見られます。これらの声は、言葉の受け取り方の違いを浮き彫りにしています。
視点③:SNSアルゴリズムによる過熱 — 冷静な分析
そして、第三の視点として注目すべきなのが、「対立」を煽りやすいSNSの仕組みが、中立的な議論を難しくしているという冷静な分析です。SNSのアルゴリズムは、感情的な投稿やセンセーショナルな内容を優先的に表示する傾向があります。その結果、「岸氏が正しい」「山本氏が正しい」という二項対立が先鋭化し、建設的な対話が失われていくのです。
「どちらも一理ある。でも、SNSで白黒つけようとすること自体が間違っている」「この論争、結局はアルゴリズムに踊らされているだけでは?」といった冷静な声も、少数ながら存在します。こうした視点は、SNS時代の対話の難しさを象徴しています。
トレみ私たちはこの議論をどう見るべきか?

建設的な対話を求める社会の姿
今回の騒動は、単なる政治家同士の喧嘩ではなく、「言葉の重み」と「SNS時代の対話の難しさ」を浮き彫りにしました。私たちが学ぶべきポイントは、以下の3つです。
①言葉は受け手によって意味が変わる
山本氏にとっては「覚悟」を示す比喩表現だったかもしれませんが、岸氏にとっては「闘病中の患者を傷つける言葉」でした。発信者の意図と受け手の解釈にズレが生じることは、コミュニケーションにおいて避けられません。特に、病気や死といったセンシティブなテーマでは、より慎重な言葉選びが求められます。
②当事者の声に耳を傾ける
岸氏のように、実際に病気と闘っている人の声には、健康な人には見えない「重み」があります。当事者の視点を尊重し、その痛みに寄り添う姿勢が、今の社会には必要です。一方で、山本氏の支持者の声も、彼らなりの正義感や期待に基づいています。どちらか一方を「正しい」と決めつけるのではなく、双方の背景を理解しようとする努力が大切です。
③SNSの限界を認識する
SNSは便利なツールですが、複雑な問題を140文字で語り尽くすことはできません。感情的な言葉が飛び交う今こそ、相手の背景(バックグラウンド)を尊重した議論が求められているのかもしれません。対立を煽るのではなく、「なぜそう感じるのか?」を問いかける姿勢が、建設的な対話への第一歩です。
トレみまとめ:言葉の重みを考える機会に
岸博幸氏と山本太郎氏の論争は、「死」という言葉の重みと、SNS時代のコミュニケーションの難しさを改めて考えさせられる出来事でした。どちらが正しいかを決めることよりも、なぜこれほどまでに人々の感情が揺さぶられたのかを理解することが重要です。
病気と闘っている人、その家族、そして政治に期待を寄せる人々。それぞれの立場に寄り添いながら、言葉の力と責任について、私たち一人ひとりが考える機会にしたいものです。
この論争がきっかけで、より思いやりのある対話が生まれることを願っています。
